魚釣り

連休に佐伯の海で魚釣りをした。いつも行く米水津の防波堤だ。

行く途中、松浦に行く分かれ道がある。松浦は鳥羽一郎が歌っている「兄弟船」の地元だ。今まで松浦には行ったことがなかったので、行ってみようということになって、道をちょっと外れた。すぐトンネルがあって、しばらく行くと松浦の漁村に出た。所々の防波堤に釣り人がいる。でもなんとなく慣れない感じがして、やっぱりいつも行く米水津の防波堤に行こうということになった。

「多分あれが米水津の防波堤だよね」とすぐそこに見えるのに、なかなか行き着かない。あれ、道を間違ったかなとちょっと不安になる。でも海岸線が続いているのだからそんなはずはない。

ああ、リアス式海岸なのだ。なぞなぞの「近くて遠いもの」にリアス式海岸の目的地というのも答えのひとつになるなと思った。

やっといつもの米水津の防波堤に着いた。7・8組の釣り人がいる。何年か前に行った時に台風の波を受けて海に沈んだ防波堤の部分を修理する機械が横付けされていたが、ほとんど出来上がっていて、先端まで行くと階段を上ることができた。

先端で三人連れの家族が釣っていた。クーラーボックスを見せてもらうとボックスの半分ほどがアジで埋まっている。すごい!20センチを越すくらいのいいアジだ。
釣り道具の用意をしていると、自分たちはもう餌がなくなったから此処で釣りなさいと言ってくれる。

さっそく釣りはじめた。投げ入れたとたんウキがスッと沈む。引き上げるといいアジだ。入れ食い状態で次々に釣れる。
 ところが風が強くて糸が流され時々もつれる。もつれた糸を解くのに手間取るのがくやしい。
 それでも入れるとすぐ食いつく。時々3匹かかる時もある。
 
 2時間くらいで32匹のアジと小鯛二匹が釣れた。風がなければもっと効率よく釣れたのにと思うとちょっとくやしい。
 でも、帰ってからの魚の始末を考えると、これくらいでちょうどいいかも。

 10匹を魚寿司にして、後は南蛮漬けにした。久しぶりの魚釣りは楽しかった。

 今度、映画の「釣りバカ日誌」で佐伯が舞台になるらしい。どこが釣りのロケ地になるのかしら。楽しみだ。佐伯のいいところをいっぱい映してもらいたい。

ブーケ

 10月に結婚した娘の親友のもッちゃんが、友人代表で挨拶した娘に特別にブーケをプレゼントしてくださった。

 薔薇の花を中心に白で統一された素敵なブーケだ。「次はゆみちゃん」というもッちゃんの気持も込められているのかもしれない。

 そのブーケを娘は「ドライフラワーにしておいて」といって自宅に置いたまま、東京に帰ってしまった。いい天気の続いた日和で、きれいにドライフラワーが出来上がった。ドライフラワーになりやすい草花を選んでいるようだ。

 娘が帰ってきたら喜ぶだろうと思いながら、花瓶にさして飾っていたら、猫の“月夜”がつる草の部分を食べようとしたので、あわてて高いところにぶら下げた。

 今年、娘はグアムに行った時、兄嫁がブーケトスしたのを見事に受け取っている。これで今年2個目のブーケゲットだが、受け取るばかりでなく、自分の胸をブーケで飾る日はいつになるのだろうか。

婦人会の運動会で。

連合婦人会の運動会に参加して、日頃動かさない筋肉を動かした。

誰でもできるような団体競技ではあるが、やはり負けたくはない。
ついつい知らないうちに力が入り、夢中になってしまう。
1等賞になれば賞品が出る、と聞けば目の色も変わる。
そういうことがまた楽しみの一つである。
そして今朝は、体のあちこちが痛くて、「やれやれ」である。

80歳でもまだ現役の婦人会会員もあり、出て来るだけの元気のあることに拍手を送る気持だ。

ところが、ある地域の一角には赤ちゃんをだっこした若い人たちがいた。
社宅やアパートなどが多くて、若い世代の人たちの多い地域なのだろう。


子育て中はとかく家の中で赤ちゃんと一日中顔をつき合わせていて、ストレスをため、そのストレスを子供に向けて虐待ということにもなりかねない。
この地域では若い人たちなりに、地域の中で子育てサークルを作って、情報交換などをしているのかもしれない。それが地域の行事とつながって、子育て中のお母さんたちがこういう場所に出てくることはとてもいいことだ。

そんなことを思いながら、見ていると、「あれ、ヒトミちゃん?」

娘の同級生のヒトミちゃんではないかしら。声をかけるとやっぱり、「うわーおばちゃん!」
と、むこうもビックリ。

「赤ちゃんができたの?」「何歳?」「名前は?」

「それにしても、あなたと婦人会で会うとはねえ。」

ヒトミちゃんは出場した競技で1等賞になり、賞品の醤油をゲットしていた。
若い人には負けるわ。でも、家計が潤ったね。と冗談を言った。

運動会がいっそう楽しくなった。

若い人たちと何気なく交流できる地域作りがこれからの課題だろう。

藍島紀行

校区の広報紙作成のために藍島の取材紀行を行なった。

10時30分発の藍島・小倉航路の船に乗り込み、馬島経由で35分、藍の島に到着。毎日この便で郵便を島に持ち帰って配達している島の「名物郵便配達人」の濱崎さんも一緒だった。
 
 待合室の前で、袋をガサガサしていると、さっそく猫が3匹寄ってきた。道のあちこちに寝そべったり、足元に寄ってきたりして猫の天国のようだ。
 
 北西方向に細長い島を縦断している島の端っこにある千畳敷を目指して出発。車1台がやっと通れるくらいの緩やかに勾配のある道に入ると、両側は樹木になり、山に入っていく感じ。時々すれ違う車にナンバープレートがない。
 
 細い道を左に折れて、島で一番高いという「高山」にある「旗柱台」に着く。江戸時代に密貿易船を見つけると、ここで旗を揚げて、小倉の番所に知らせていたという。旗を立てるための石で作られた柱台が残っている。「高山」といってもそんなに高くはなく、端に立つ樹木が邪魔をして、小倉は見えなかったが、2本の四角い石がどっしりとした風格を残している。
 
 元の道に戻って、しばらく歩くと、樹木の間から、岩松助左衛門ゆかりの白黒まだらの白州灯台がすっきりと見えた。岩松助左衛門は地元の偉人であり、これを見るとちょっと誇らしい気持ちになる。
 
 島の景色とちょっとそぐわないものが2つある。ひとつは大きな丸いアンテナをつけたNTTの鉄塔で、電波は若松からくるので、住所は小倉北区にあるが、電話番号は若松局の番号になっているそうだ。もうひとつは青と白の格子模様をつけた大きな円筒の上水道タンクで、こちらは小倉北区から水道管が引かれているらしい。
 
 しばらく歩くと、私たちの様子を見に、千畳敷に行ったという濱崎さんと出会う。潮が引き始めて、陸地がどんどん出ているという情報をくれる。
 
 大きな平たい敷石を並べたような岩が海に広がって、まさに千畳敷。敷石のような岩と岩の間に溝ができてそこを海水が寄せたり引いたりしながら潮が引いていく。千畳敷ができる過程が解るような気がした。 
 
岩をよく見ると粘土に押し当ててできたような貝殻のあとがある。化石のあとだ。
 
潮溜まりをよく見るとひじきのような海草のあいだを小さなエビや小魚が泳ぎ、岩の間にはビイラという貝がびっしりいて、磯遊びをするのにも絶好の場所だ。
 
 大潮の干潮時は千畳敷から歩いて渡れるという貝島は、古墳があるそうだが、個人の土地で、バンガロウ風のしゃれた小屋が2軒建っていた。
 
 帰りに、藍島小学校を訪問した。校長先生はじめ、皆さんが歓迎してくださり、校長室で冷たいお茶をご馳走になった。全校児童14名の小さな小学校だが、運動会は島民総出で盛り上がるなど、地域の中心になっている。
若くて気さくな校長先生から、今日出来上がったばかりという校長先生製作のすばらしい藍島マップをいただいた。
 
 校長先生のマップに載っていた小学校のすぐそばにある荒神様をたずねたが、45度くらいありそうな急な階段で、昇るのには勇気が必要だった。(昇らなかった)
 
 島の、端から端まで歩いて30分くらいの小さな島だが、遠足気分を充分に満喫して、楽しい一日だった。

前田智徳選手

 広島カープ前田智徳選手が2000本安打を達成して、4歳くらいと、2歳くらいの2人の息子さんがグランドでお父さんである前田選手に花束を渡すシ−ンがありました。

 その時、前田選手が子供さんと会話をしていたのですが、夜のスポーツニュースでキャスターの方が、「あの時何の話をしていたのですか」と聞きましたら前田選手が「母さんはどこにいるの、と聞いたら、あっちと言って指さしたので、母さんにありがとうと伝えてね」と言ったということを話していました。

 前田選手は普段、感情を顔に出さないことで有名で、ホームランを打ってもめったに笑わない人なんですが、このときはほんとに柔和な顔をしていて、家庭では優しいお父さんなんだろうなと思いました。

 自分を支えてくれている奥さんに、きっと、一番に感謝の言葉を言いたかったのだろうなと思いました。

 前田選手はかっこいいですね。
 

成迫健児

 えっ、成迫?もしかして佐伯の人?同級生にも成迫〇〇子さんという人がいたし、同じ大学に行った先輩にも成迫さんという人がいた。

 さっそくネットで調べてみたら、やっぱり佐伯の人だった。すごい!世界陸上で注目のハードル王子。しかも佐伯鶴城高校の後輩だって。

 佐伯鶴城高校は、佐賀北高校と同じく、質実剛健・文武両道がモットーで、水泳ではオリンピックに高橋栄子や松本健次郎など、6人が出ている。高校野球では甲子園に何回か出ていて、広島球団を昨年引退した野村選手や元監督の阿南さんも卒業生である。

 佐伯も捨てたものじゃあない。郷土の人の活躍はやっぱり嬉しい。

国木田独歩館

寿司屋を出て、電車に乗る時間まで1時間くらいあるので、国木田独歩記念館に行くことにした。白壁の続く武家屋敷通りにある。

 国木田独歩が、明治26年から27年にかけて鶴谷学館の教師をしていたときに下宿した坂本邸を改造し、平成15年4月にオープンした資料館だ。来るのは4度目だ。

 独歩が生活していたという二階は天井が低く窮屈な感じだが、窓の張り出しに座ると趣のある庭が見えて気持がいい。

 梯子のような小さい階段を降りると、とたんに、「ああ、涼しい」とおもわず声が出るくらい涼しい風が吹きぬける。ふすまを開け放した部屋はどこも風が吹きぬけて、風の通り道を計算して作られている昔の日本家屋の工夫が感じられる。
 
 部屋を閉め切ってクーラーをガンガンかけて、結局は地球温暖化を招いている現在の文明のおろかさを考えずにはおられない。
 
 北側の部屋に沿って廊下があり、そこから井戸や小さな池が見える。これも涼しさを誘う。小さな池には蓮が植えられ、今朝開いたのかなというくらいの花が咲いて風情がある。トンボや虫が時折飛んできて、水面をつつく。池のそこには2・3匹のかえるが沈んでいて、時々浮かんできてはまたすぐ沈む。池の底のほうが涼しいのだろう。そんな様子を見ながら廊下に座っていると、街中の34度くらいある猛暑も忘れてしまう。

 その廊下からちいさな渡り廊下をつけて白壁の土蔵に行けるようになっている。
土蔵は資料館になっていて、二階に行くと、小さな図書のコーナーと、電子ブックが見れるコーナーがある。

 ここはしっかりクーラーが利いていて、涼しい中でゆっくりと本が読める。入試勉強で国木田独歩の作品名だけは覚えたが、実際には読んだことのない、佐伯を舞台にした「春の鳥」「源おぢ」「鹿狩」などを電子ブックで読んだ。

 小さな資料館だが、1日ゆっくり過ごしてみたいいい資料館だ。