藍島紀行

校区の広報紙作成のために藍島の取材紀行を行なった。

10時30分発の藍島・小倉航路の船に乗り込み、馬島経由で35分、藍の島に到着。毎日この便で郵便を島に持ち帰って配達している島の「名物郵便配達人」の濱崎さんも一緒だった。
 
 待合室の前で、袋をガサガサしていると、さっそく猫が3匹寄ってきた。道のあちこちに寝そべったり、足元に寄ってきたりして猫の天国のようだ。
 
 北西方向に細長い島を縦断している島の端っこにある千畳敷を目指して出発。車1台がやっと通れるくらいの緩やかに勾配のある道に入ると、両側は樹木になり、山に入っていく感じ。時々すれ違う車にナンバープレートがない。
 
 細い道を左に折れて、島で一番高いという「高山」にある「旗柱台」に着く。江戸時代に密貿易船を見つけると、ここで旗を揚げて、小倉の番所に知らせていたという。旗を立てるための石で作られた柱台が残っている。「高山」といってもそんなに高くはなく、端に立つ樹木が邪魔をして、小倉は見えなかったが、2本の四角い石がどっしりとした風格を残している。
 
 元の道に戻って、しばらく歩くと、樹木の間から、岩松助左衛門ゆかりの白黒まだらの白州灯台がすっきりと見えた。岩松助左衛門は地元の偉人であり、これを見るとちょっと誇らしい気持ちになる。
 
 島の景色とちょっとそぐわないものが2つある。ひとつは大きな丸いアンテナをつけたNTTの鉄塔で、電波は若松からくるので、住所は小倉北区にあるが、電話番号は若松局の番号になっているそうだ。もうひとつは青と白の格子模様をつけた大きな円筒の上水道タンクで、こちらは小倉北区から水道管が引かれているらしい。
 
 しばらく歩くと、私たちの様子を見に、千畳敷に行ったという濱崎さんと出会う。潮が引き始めて、陸地がどんどん出ているという情報をくれる。
 
 大きな平たい敷石を並べたような岩が海に広がって、まさに千畳敷。敷石のような岩と岩の間に溝ができてそこを海水が寄せたり引いたりしながら潮が引いていく。千畳敷ができる過程が解るような気がした。 
 
岩をよく見ると粘土に押し当ててできたような貝殻のあとがある。化石のあとだ。
 
潮溜まりをよく見るとひじきのような海草のあいだを小さなエビや小魚が泳ぎ、岩の間にはビイラという貝がびっしりいて、磯遊びをするのにも絶好の場所だ。
 
 大潮の干潮時は千畳敷から歩いて渡れるという貝島は、古墳があるそうだが、個人の土地で、バンガロウ風のしゃれた小屋が2軒建っていた。
 
 帰りに、藍島小学校を訪問した。校長先生はじめ、皆さんが歓迎してくださり、校長室で冷たいお茶をご馳走になった。全校児童14名の小さな小学校だが、運動会は島民総出で盛り上がるなど、地域の中心になっている。
若くて気さくな校長先生から、今日出来上がったばかりという校長先生製作のすばらしい藍島マップをいただいた。
 
 校長先生のマップに載っていた小学校のすぐそばにある荒神様をたずねたが、45度くらいありそうな急な階段で、昇るのには勇気が必要だった。(昇らなかった)
 
 島の、端から端まで歩いて30分くらいの小さな島だが、遠足気分を充分に満喫して、楽しい一日だった。